図書館で見つけて借りました。
こんなことがあったのか・・・。
以前、国領あたりで不発弾騒動があったような。
終戦の少し前、国領の個人の家にB29の機体が落ちて
全員亡くなったと・・。
不発弾はその時のものらしい。
その時のことを記録に留めようとされた方がいます。
九州も酷かったですし、原爆に隠れてますが
実は日本国中の都市が火に包まれた・・
最近内田百閒全集第23巻
「東京焼尽 戦後日記」の編を読みました。
日本国中に毎日毎日爆弾が落とされていくのを
麹町にあった家から空襲で焼け出されて
近くの男爵邸の塀際に立つ3畳の物置小屋に夫婦で住み、
頭上を飛んで爆弾を落としていく
米軍の飛行機と日々の新聞と警報から
警戒警報、空襲警報、解除、の時間
東京を飛び越して
各都市へ向かい爆弾を落として
原爆広島長崎まで全て小屋の中と
当時文書顧問として勤めていた日本郵船や
出版社、屋根がなくなった東京駅、どんどん焼けてしまう建物
乏しくなる食糧などこまめに
天気・月齢まで毎日記録して行った百閒先生。
淡々とかかれていますが、冬の寒さから
夏の暑さ、持病の悪化、雨、蚊・・
淡々と百閒先生独特の筆運びで
見事に写し出されていて
戦後すぐに出版となった
この日記は、そのころの
庶民が味わったことを
偽りなくほのかなユーモアと
苛立ちと事実を再現してくれます。
百閒先生は元祖乗り鉄として
大好きなクソジジイ先生ですが・・
忘れてはいけないことだと思います。